大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第二小法廷 昭和33年(あ)2523号 判決

被告人 浅野史子

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人渡部繁太郎の上告趣意は、判例違反を主張する。

しかし、所論引用の各判例は、児童福祉法六〇条三項但書にいわゆる児童の年齢を知らないことにつき過失がないというためには、単に児童本人の陳述または身体の発育状況等の外観的事情のみによつて年齢が満十八歳以上であると判断しただけでは不十分であつて、その外に客観的資料として、例えば戸籍抄本、食糧通帳もしくは父兄等について正確な調査を講じ以つて児童の年齢を確認する措置を採るべきである旨判示したもので、すなわち、児童雇入れに際し、右のような客観的資料が全然提供されていない場合における雇主の調査義務について判示したものである。しかるに、本件原判決によれば、被告人は、原判示児童を接客婦として雇入れるに当り、その実家を訪問し、直接、本人およびその両親について調査したのではあるけれども、その際同人等の差し出した実は他人の戸籍抄本を、同人等の陳述のみによつてたやすく児童本人のものであると軽信したというのであつて、そして原判決は、かかる場合においては、児童又はその保護者において、その雇入を希望するの余り、他人の氏名を詐称して年齢を偽ること、殊に近頃のように年齢確認の資料として戸籍抄本が利用されるようになると他人の戸籍抄本を恰も児童本人のものであるかのように使用することも当然ありうることとして容易に想像できるから、このことをも考慮に入れて、先ずその差し出された戸籍抄本が児童本人のものであるか否かを確むべきであり、それが為には、単に児童およびその両親の一方的な陳述だけでたやすく軽信することなく、他の信頼すべき客観的資料に基づいて調査をなすべきであるのに、被告人はこれが調査を怠つているのであるから、いまだ児童福祉法六〇条三項但書にいわゆる年齢を知らないことにつき過失がない場合に該当しないと解するを相当とする趣旨を判示したものであつて、すなわち、原判決は、児童およびその両親が、児童本人の氏名を偽り他人の戸籍抄本を恰も本人のものの如く装つて提示した場合に関して、これを雇い入れんとする雇主の調査義務について判示したものである。従つて、所論引用の各判例と原判決とは、両者その事案を異にし、原判決は引用各判例になんら相反する判断を示していないこと明白であるから、所論判例違反の主張はその前提において失当である。のみならず、所論の実質は、被告人が本件児童の年齢を知らなかつたことにつき過失がないと解すべきに拘らず、過失があると解した原判決は、児童福祉法六〇条三項但書の解釈適用を誤つた違法があるとする単なる法令違反の主張(この点に関する原判決の判断は正当と認める。)に帰し、上告適法の理由に当らない。

また記録を調べても刑訴四一一条を適用すべきものとは認められない。

よつて同四一四条、三八六条一項三号により裁判官全員一致の意見で主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 小谷勝重 裁判官 藤田八郎 裁判官 河村大助 裁判官 奥野健一)

弁護人渡部繁太郎の上告趣意

原判決は最高裁判所の判例と相反する判断をしたものであるから、破棄せらるべきものである。

原判決は「被告人は、A子を接客婦として雇入れるについて、自ら○○市××のA子の実家を訪ね、A子並びに同人の両親に会い、同人等がA子の戸籍抄本であるとしてA子の従姉に当るB子(昭和一二年九月一八日生で当時満十八歳)の戸籍抄本を差し出したのでこれによつて年齢を調査するとともに直接A子及びその両親についてA子が右戸籍抄本に記載された本人であることを確めたことは所論の通りであるが、その際A子本人はもとよりその両親においても家庭の経済的事情でA子が接客婦として雇われることを希望していることを知りながら、同人等の差出した戸籍抄本や同人等の陳述だけによつてたやすく右A子が右戸籍抄本に記載された者と同一人であり、従つて満十八歳以上であると信じて同人を接客婦として雇い入れ、これに売淫させたことを認めることが出来る。

思うに、児童本人が接客婦として雇われることを希望し又はその保護者が経済的事情などでこれを希望する場合には、これらの者において、雇入を欲する余り、雇主に対し偽名を使用して児童が満一八歳以上であるように偽装するかも知れないことは容易に想像できるところであつて、殊に近頃のように年齢確認の資料として戸籍抄本が用いられるようになると、あらかじめ他人の戸籍抄本を用意し、児童がその他人であるように偽名する方法によつて、児童の年齢を偽装することも当然あり得るものとして予想できることであるから、児童を使用する者は、児童やその保護者など児童側の者が児童を接客婦に雇われることを希望する場合には、前記のようなことをも考慮して、単にこれら児童側の者が差し出した戸籍抄本や児童側の者の陳述のみに頼ることなく、これら児童側のいわば一方的資料のほかさらに信頼すべき客観的資料についても調査の方法を講じ、先ず児童が戸籍抄本に記載された者に相違ないかどうかを確かめた上(例へば、本件においては、被告人が児童の実家を訪ねたのであるから、その足で近隣の者数名に聞き合わせをすることによつても、容易に目的を達することができると考える。)これを基礎として爾後の調査を進めて行くべきであつて、かかる措置を講じない限りは、年齢の確認につき調査を尽したといえないことはもとより、児童の年齢を知らなかつたことについて過失がないということはできないと解する。そしてかように解することは児童福祉法第一条に示された児童福祉の理念に副うものと考える。」と説示されたが右は最高裁判所昭和二八年(あ)第五三三一号同三〇年一一月八日第三小法廷決定及び札幌高等裁判所昭和三二年(う)第八七号同年六月二〇日第三刑事部判決(高裁刑事裁判特報昭和三二年度第四巻一一、一二号)に児童福祉法第六〇条第三項の無過失の立証方法として単に本人の陳述又は身体の発育状況等外観的事情だけにとどまらず、さらに客観的資料として戸籍抄本、食糧通帳もしくは父兄等につき正確な調査を講じ、児童の年齢を確認する措置を採つたことを明らかにすべきを相当とすると説示した部分に相反する判断である。

被告人がA子を接客婦として雇い入れるに際しては、外観的な事情だけではなく客観的資料に基いて年齢確認の方法を尽したもので、たやすく同女を満十八歳以上であると信じたものではない。

即ち第一審判決挙示の各証拠及び記録全部を総合すると、左の事実が認められ且判断出来る。

一、被告人がA子を雇い入れるに至つた経緯は被告人方の雇人溝口シゲノがA子の母C子とかねてから知合いで、屡々C子方を訪ねたことがあり、従つて同家の事情もよく知つていたものであるが、たまたま路上で右C子と会つた際同女より働きたい子があるから世話して欲しいと頼まれ、そのことを被告人に告げたので、被告人は同女よりE方の事情を聞いた上その案内でE方を訪ね数時間同家に在つて本人は勿論その両親とも面接し、つぶさに家庭状況を観察し、その席上でA子のものとして示された従姉B子の戸籍抄本を受取つたものである。

二、B子はA子の父の弟Dの子であり、Dも同所同番地に居住して居るもので、E方には標札を掲げて居なかつたものである。

三、A子は被告人方に雇はれる以前である昭和三十年七月頃ある男と結婚をしたことがあり、同年八月八日第一審相被告人池田ちよ方で、又同月十六日同じく福井トク方に接客婦として雇はれた経験があり身体の発育状況は満十八歳以上と思はれる状態であつた。

四、被告人がA子を雇い入れる当時は、A子の父Eが覚せい剤取締法違反或いは賭博罪で罰金刑に処せられていたがこれを納付することが出来ないため、何時労役場に留置のため拘引されるやも知れない急迫した事情にあつたので、親子ともども前借金を得たいため、A子が十八歳以上であることを信じさせ様と熱心であつたことが首肯せられるもので、同人等は最初からA子が接客婦として働く意思がないのに、これあるが如く装つて、前借詐欺を働いたもので、被告人は詐欺の被害者と見るべきである。

同人等が前借詐欺の常習者であることは、A子が前示池田ちよ方及び福井トク方に雇はれるに際しては、A子は両親と相談の上十八歳に達した従姉F子(B子の姉)なりと称して同女の戸籍抄本を提示して、何れも数日間働いただけで口実を構えて逃げ帰り、借受金の返済を免れたことから見ても首肯出来る。

本件に於て被告人が採つた以外に年齢確認の方法を採ることを要求することは可能であろうか。

これ以上の手段方法を採ることを要求することは不能を強いるもので、児童福祉法第六〇条第三項の但書を設けた趣旨が意味をなさなくなり、該法案を適用する場合がないことになる。

原判決は近隣の者数名に聞き合せをすることによつても児童が戸籍抄本に記載された者に相違ないかどうかを確かめられる旨説いているが、隣家の者の年齢はよく知らないのが普通であるし、結婚の相手の問合せと違つて、隣りの娘が接客婦を希望しているが年は何歳かと問い合わせることは出来ないことで、これを要求するのは、およそナンセンスである。本件ではE方では近隣に知れるのを憂えてA子が家を出るときには、被告人等とE親子が別々の道を通つて駅まで来たことから見ても、右の様なことを求めるのは酷である。

原判決は「児童本人が接客婦として雇はれることを希望し又はその保護者が経済的な事情などでこれを希望する場合」を特別の場合である如く強調しているが、婦女が接客婦として雇はれることを希望する場合は多くはその様な二つの場合であつて、決して特別な場合ではない。従つて雇主に対し年齢を確認するのに特別な責任を負はせるのを妥当とするが如き論法は当らないものである。

又原判決は前示最高裁判所並札幌高等裁判所の判例にいう戸籍抄本とは児童本人の戸籍抄本を指すもので、本件のように児童やその両親が差し出した他人の戸籍抄本の如きはこれに当らないことは右判決の全趣旨に徴し明らかである旨説示しているが児童本人の戸籍抄本が差し出されこれを調査した時には、該児童が十八歳に満たないことが明らかになるので、過失の問題が起る余地がない。他人の戸籍抄本を示された場合に於てこそ初めて過失があつたかどうかが論ぜられることになるものと信じる。

よつて原判決を破棄の上適当なる御裁判を賜りたい。

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例